コミックマーケットC75に受かりました。
 最終日30日の西”え”44bになります。
 http://tukinoyamineko.web.fc2.com/index.htmlより
 ショートストーリー Second Sightを連載しています。
さて、ここのブログで散々京都駅での集中講義で〜と書いていましたが、実際場所が違っていました。

南無〜


何とか午後からの講義に間に合ったので、今日の日記はカウンセリングの講義を受けて面白かった話を噛み砕いて話そうと思います。

と言っても、内容的には結構難しくて、どう噛み砕けばいいものやら?


さて、講義の中で一番興味を惹いた。
語り、物語、そして、小説のお話。

坂部恵さんより引用らしいです。
授業で引用、さらに、ここで引用

語りとは二つの由来があって、その交じり合うところに語るという言葉は存在する。
カタリ →カタドル(象る)
    →カタル(騙る)

結論として、【語りとは曖昧模糊なものを筋書きを作って他者に伝達しようとする行為】


う〜ん、簡略しすぎて分かり難い気がしますね。

イメージ的には口伝に近いです。
口伝伝承と言えば、例えばネイティブアメリカンの伝承やカムコタン(アイヌの伝承)ですね。
文字を持たない文化によく見られますが、厳密に言えば、彼らは文字を持つ必要のない文化と言ったほうが正しいでしょう。

ただ、奥義伝承とかに使われる口伝とは意味が違ってきますので


なぜ、彼らが文字を必要としないのかと言うと、彼らが話す物語は時を経てどんどんと変わっていくからです。
なので、彼らにとって文字で記して物語を閉じ込めることは無用なことなのです。
それは紙で書かれた物語は「死んだ」物語だと表現できます。

では、生きた物語はあるのか?
あるならば、その境目とは?

と、講義は続いていきます。


生きた物語は存在し、それは【「語りえないもの」をめぐる物語であるかどうか】になるそうです。

いい物語、そうでない物語
生きた物語、死んだ物語



いやいや、こんな表現にドキッとする私はまだまだ文字に自信がないのでしょうか?

こんな講義を受けて自分なりに解釈したのが今日の題名にもなっている忘れる物語と忘れない物語。


忘れる忘れないを私は記憶と言う意味では取らずもっと大きな意味でとりました。
その本を読んで身になる物語。
それはずっと忘れているかもしれないけど、ある一瞬ひょこっと顔を出す物語。
その一瞬はいつか来るかもしれないし、一度もこないかもしれない。
しかし、その種をまいた作品を忘れない物語と表現しました。

たぶん、この定義だとほとんどの作品が当てはまると思うんですよね。
それでいいんじゃないかなとか思ったりしています。



いや、たぶん、解釈として結構ずれていたりしますが……
なんといいましょうか……


あれです!


100年残る物語を私は書く!